今回のテーマは、誰が文章をチェックしてくれるのか、という話。
まずは単純に疑問なのだが、今現在ウェブライターをやっているという人は、誰が文章をチェックしているのだろうかを考えてほしい。
ほとんどの人はクライアント、または編集担当と言われる人なのだろうが、どんなチェックを受けているのだろうか。
次に、そのチェックしている人の顔を思い出してほしい。(もちろんオンラインだけの関わりが多いから、顔を知らないこともあるだろうがまあそこはメタファー的な話として)
その人は、どのくらい文章をチェックするに相応しい経験を積んでいるのだろうか。
正直ウェブメディアの編集者は、ひどい時代だと大学生のインターンが担当している頃もあったりして(それが過去の笑い話であることを切に望む)、決してレベルが低いというわけではないが、少なくとも文章をチェックするという作業においてのレベルの「ムラ」は大きい。
もちろん、商品や紹介する内容にある程度詳しい人が担当をしていることが多いはずで、内容に関するチェックはできても、日本語表現に関してきちんとチェックできる人は稀有と言っても良いだろう。実際、そういう人たちのチェック内容を目にする機会は多いのだが、「自分の好み」で気まぐれにチェックしている人が目に付く。
あるいは、ライターの書いた文章に赤を入れるのが自分の仕事と思い込み、特に直す必要のない部分を無理矢理直そうとする担当者もいる。(これに関しては、けっして素人担当者だけではなく、紙媒体においても同様である。もちろん直しのレベルは圧倒的に違うのだが)
さて、では筆者の経験を少しお話ししよう。
筆者は若い頃から地方(名古屋)で広告関係のコピーを書く仕事をしていて、実際のところ駆け出しの頃を除けば仕事上で文章に関して他人に何か言われた経験はほとんどなかった。それなりにコピーに関しては勉強していたし、読書量も普通の人よりも多かった。
コピーライティングの学校に行ったわけではないが、まあ一般的な文章を書く職業の人レベルでは学習していたと思う。だから、ローカルで文章を書いている限り、一生他人から文章について突っ込まれることはなかったかもしれない。
しかしそれが文字通り井の中の蛙であったことを、知ることになる。きっかけは、東京で何冊かの本を出版している、とある人と一緒に仕事をするようになったことだ。彼が主催する公演の文字起こしをすることになったのだが、その内容に対してひどく怒られた。
「なんですかこの駄文は?」
彼は平然とそう言い放った。確かにスケジュールがタイトで、十分に推敲できなかったという言い訳もあるのだが、それにしてもその言われようはかつて体験したことのない、ひどいものだと感じていた。しかし、彼とて何冊も本を出し、ものを書くことを仕事の一部にしている人だ。そんな人が言うわけだから、自分の正当性を主張するのも論理的ではない。
そして彼はこう続けた。
「日経の記者のレベルで書いてください」
彼はよく日経のいろいろな雑誌から取材を受けていた。だから比較する対象として「日経(の雑誌)の記者」という単語が出てきたのだろう。
正直、それを言われた時の衝撃はいまだに忘れない。
なぜなら、それまでの自分がいかに地方という小さな池の中で殿様蛙になってふんぞりかえっていたのかを、その一言で嫌と言うほど思い知らされ、気付かされたからだ。
もちろん最初にそのセリフを耳にした時は、
「チキショー、ナニイイヤガルンダ!」
と憤りを抑えることができなかったけれど、よくよく考えてみれば、
「この人はそう言うある意味トップレベルで自分を見てくれているんだ」
と言うことに気がついた次第で、そのことは今でも非常に感謝しているし、その出来事がなければその後本を20冊も執筆することもなかったのかもしれないと思っている。
それでその後どのような勉強をしたのかは、機会があったらまた書こう。
つまりそれは地方と全国、あるいは仕事のフィールドや要求されるレベルを上げていくことで自分の足りない部分が見えてきて、それにどう対処するかを考えるようになったと言うことなのだが、ではウェブライターをやっているあなたはどうなのだろう、ということだ。
誰かに気づかされ、そして自分の足りない部分を直視し、そこを埋めていくというプロセスを実行できているだろうか。あるいは今後、可能だろうか?
ライター、物を書くことのスキルを上げていくのはもちろん収入を上げていくことに必要な一部ではあるが、それ以上に常に向上心を持って、もっと上手く書けるようになりたいと貪欲であり続けることこそ、物書きとしてのモチベーションや、そして楽しみであるんじゃないかな、と今でもそう考えている。
イラスト:りぴ