文章が下手だからと言ってウェブライターを諦める必要もない

あなたは自分の文章が上手なのか下手なのか、自分でわかるだろうか?

タイトルから言うと今回は文章が下手だと思っている人向けの情報が書いてありそう、と言うか書こうとしていたのだけれど、案外上手下手は自分では判断できないかもしれない。

だいたい、下手だなあと思っている人の方が文章の上手下手を意識していると言う点で、普通の人よりは上手そうな気がするし、上手と思い込んでいる人の方が回りくどくて何言っているかわからないということも多い。

まあいいや、一般論で、文章が下手と思われる人はウェブライターになれるかどうかという話をしよう。

とは言っても、ここで言う文章が下手とはどんなことなのかについて、ある程度定義しなければならない。

一つは文法的に正しい文章が書けるかどうかと言う点で、もう一つはなんと言うかいわゆるうまい文、ある意味文学的で豊かな情感すら感じさせる文が書ける人が上手で、下手というのはその反対ということになるだろう。

文法に関しては、知識として学ぶ必要はないにしても、ある程度の常識は必要だろう。逆に文法を知識として学んだとしても、その学んだことを自分が書く文章に反映させることは、個人的にはなかなり困難だと思っている。学問と実践は別物だ。でなければ大学の経済学者はみんなビジネスを大成功させられるはずだが、実際はそうでないことがほとんどだ。

だから、ウェブライターになるための文法の知識というのは、知識という意味だけでは全く必要ない。ただ、SNSとか見ているとなんというかもう、何をどう突っ込んだらいいのかわからないような文章を書く人もたまに見受けられる。それが書くことを仕事にしていたり教えていたりするらしいということなので、世も末だ。(世の中にはゴーストライターという職業もある、ということなのだろう。教えている人がどうしているのかは知らないが)

じゃあ、自分がそれに当てはまるかどうかはどう判断すればいいか。これは難しい問題だ。誰だって自分がそれが正しいと思っているからそう書いているわけで、そこまでひどい文章だと自覚していればSNSのポストだって控えるはずだ。まあ、世の中の多くの人が、その酷さに気がついていないというのも事実だが。だからそこはやはり、プロの目で確認してもらう必要がある。

ひどいかどうかは、文法云々ではなく、AというものやことをAとして文章で伝えられるかどうかが肝心なのだ。Aというものを紹介して、それを読んだ人がA’とかBとかとして読み取ってしまわれると、ウェブライターとしては失格だ。これが伝えられるかどうかの基準となる。そのために最低限のルールとして日本語の文法を含めた決まりがあり、そのために決まりを守って書かなければならないということだ。そこに、知識としての文法は必要ない。

もう一つは文学的な美しい表現ができないけど大丈夫かという人だが、そんな表現はウェブライター には求められていない。もちろん表現の一つの方法として流麗な日本語が書けることは差別化要因にはなるが、まったくマスト要素ではない。だいたい、ほとんどの日本人は文学的な表現の日本語を正しく読めない。それが現実だ。

正しい文法や文学的日本語よりも必要なのは、むしろ文章を書くことよりも、どういう話の流れで書けばよりちゃんと理解してもらえるかという「構成」を決めるテクニックだったり、物事の手順をきちんと説明できる論理性の方が、実際にウェブライター が求められる技術だ。そういう技術は頭を使って練習すれば、磨かれる。

だからもし今あなたが自分は文章を書くのが下手かもしれないと感じていたとしても、ウェブライターになることを諦める必要はない。文章を上手に書くテクニックは書くにつれてある程度までは自然に身につくものだ。

でもだからと言って、何の学びも必要がないというわけではないことは理解しておいておくれ。どんな職業だって、上を目指すのであればライバルを出し抜く学びの努力は必須だ。

イラスト:りぴ